38歳で2社目の外資系企業へ~外資系企業への転職体験記②

外資系企業への転職。

外資系企業での仕事。

外資系企業の文化。

・・・

もはや当たり前に存在する外資系企業ではありますが、その内情については知られているようで知られていない。

   

引き続き、外資系企業の情報を私の経験からお話します。

   

これまでに5社の外資系企業への転職・勤務を経験↓

当時の年齢
*誕生月によりズレます
勤務先勤続年数
1998年28歳アメリカ系リテール(消費財小売り)10年
2008年38歳ヨーロッパ系リテール(消費財小売り)2年3か月
2011年41歳ヨーロッパ系リテール
(親会社のメーカーから出向、消費財小売り)
3年2か月
2014年44歳日系メーカー(営業)1年5か月
2015年46歳アメリカ系リテール(消費財小売り)7か月
2018年48歳日系通販会社 (*営業)9か月
2019年49歳アジア系サービス(ホテル)就業中
「どうしてこうなった」という思いは、まぁあります。

      

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外資系企業への転職・仕事内容・英語・年収・・・

   

38歳にして転職。外資系から外資系。

日本〇〇〇株式会社から、〇〇〇ジャパン株式会社へ。

   

また書きますが、この「日本」と「ジャパン」という名称で、同じ外資系でも会社の雰囲気が変わるかなと感じるのは、この転職があったからです。

   

転職してわかった、外資系企業(欧州系)~体験記②

外資系から外資系へ、転職するまで。

28歳から、10年勤めた外資系。なぜ転職を決意したのか、前にも書きましたが、理由は以下のとおりです。

□日本進出約20年。会社が成熟期に入り、それ以上の昇進・昇給が見込めなくなってきたから。

□そもそも、仕事にやりがいを感じていなかったから。

□大阪(会社や給料によっては東京)に戻りたかったから。

   

大きく、この3つです。

もともと転職活動はしていましたが、縁やタイミングは絶対存在しますよね。

   

2007年の11月。ふと見つけた求人に応募したところ、エージェントから連絡。

「1次面接に、大阪まで出てこれますか?」と。

エージェントに会うためだけに大阪まで出ていくにはお金も時間ももったいない地方勤務でしたが、面接確約ならばと「もちろんです。」。

新幹線に乗って、往復約6時間かけて大阪まで行きました。

平日の、午前10時ごろだったでしょうか。面接は11時からでしたが、面接会場である会社の近くの喫茶店で、エージェントさんと待ち合わせ。

エージェント側にしても、メールでしかやり取りをしていない、どんな人間かわからない求職者を誰でも紹介するわけにはいきません。

※我々求職者は転職にあたってエージェントさんに一銭も払う必要はありません。エージェントは会社側から「紹介料」をいただくわけですから、私たちはある意味”商品”ですね。

   

一通り、転職を決意するに至った経緯などを話した後、エージェントさんが「電話1本いいですか。」と席を立ちました。たぶん、これから面接を受ける会社側に架けたのでしょう。これはまぁ、”合格”のようでした。

エージェントさんとの関係、エージェントさんに気に入られることも大事ですよね。

   

この1次面接を含め、計3回。

仕事をしながら、大阪まで往復6時間、交通費3万円をかけての転職活動は簡単ではなかったですが、子供がまだいなかったこの頃は家計に余裕がありました。

   

無事に面接をこなし、年内に内定。翌2008年2月、退職金200万円ほどを手にして、10年勤めた、初めての外資系企業を退職しました。

   

外資系と言っても様々。会社の雰囲気が全然違う!

写真はイメージです

   

まぁ、当たり前ですよね。

日本に進出してまだ数年だったこの〇〇〇ジャパンは、「成熟期にあった」前職とは全く違いました。

   

まず、外国人スタッフ(社員)が多い。

英語を使うことが多い。

   

マネージャーとしての採用でしたが、直属の上司および部下も全員日本人でしたし、「まぁ何とかなるだろう」と思っていました。

   

それでも、日本進出が間もない会社というのは、ベンチャー企業みたいなもの。ミーティングがやたらと多く、研修も次から次へ。と思ったら、それらが直前でキャンセルされる。

こういう状態の会社では、よほど自分を強く持っていないとやっていけません。

そんな中、消費財とはいえ、扱うものも大きく変わりましたが、何とか日々こなしていました。

   

が、、、

1年ほど経とうとしている頃、上司の上司に強烈な外国人が就任(2009年)。

リーマンショックの直後でしたし、リストラが容赦なく断行されました

   

特に、年長者。

平均年齢がすごく若かったこの会社の中で、40歳手前であった私はもちろん(?)リストラ候補。

成績が極端に悪いわけではありませんでしたが、この外国人上司とコミュニケーションを上手く取れなかった私は、さらに1年後の2010年、マネージャーからの降格を言い渡されます。

   

いろいろ不満も溜まっていた私はこれに納得がいかない。

が、決定が覆ることはなく、居場所がないと感じた私は、入社2年ほどの2010年、再び転職を決意します。この辺のことは前にも少し書きました

   

転職するまでわからなかったこと

英語

英語は身につけておいた方が良いです

   

英語無しでも外資系企業への転職は可能ですし、会社によっては英語無しで業務、何なら昇進も可能でしょう。

ですが、英語は身につけておいて損はありません。これは100%事実です。

私がもう少し、あの上司と英語でコミュニケーションを取れてたら・・・と思わなくもないです。

   

嫉妬

これはもう、本当に予想していませんでした。

前職と変わらない給料。マネージャーとしての転職。

恵まれていると思われたのでしょう。

   

同じマネージャー職の同僚、他部署の人間から、明らかな嫉妬を感じる時がありました。

こういうことがあると、何かとコミュニケーションが取りづらく、つまりは仕事がしづらくなる。

これまで、地方部署のトップにいた私には、見えているようで見えていない、人の心がありました。

理不尽にも思えなくはないのですが、私自身も反省するところはあり、今現在の会社員生活においても、この時の教訓を活かすように心がけています。

   

それにしても、「もう転職はしない」と決意しながら、わずか2年での退職

ショックではありました。

もう40歳になっていたわけですしね。。。

   

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