45歳。日系営業職を経て、再び外資へ~40代転職体験(奮闘)記④

引き続き、私の外資系企業転職・就業奮闘記。

   

今回は、45歳での転職体験記です

   

難しいとはされる、40代の転職。それも半ばの、45歳での転職。

   

私の経験をどうぞ。

矛盾するように聞こえますが、”転職そのもの”は難しくなかった

   

私の外資系企業転職・就業経験は↓

当時の年齢勤務先勤続年数
1998年28歳アメリカ系リテール(消費財小売り)10年
2008年38歳ヨーロッパ系リテール(消費財小売り)2年3か月
2011年41歳ヨーロッパ系リテール
(親会社のメーカーから出向、消費財小売り)
3年2か月
2014年44歳日系メーカー(営業)1年5か月
2015年46歳アメリカ系リテール(消費財小売り)7か月
2018年48歳日系通販会社 (*営業)9か月
2019年49歳アジア系サービス(ホテル)就業中
「どうしてこうなった」という思いは、まぁあります。

   

外資系企業への転職体験記①~28歳で初めて外資系へ転職

38歳で2社目の外資系企業へ~外資系企業への転職体験記②

41歳で3社目の外資系企業へ~40代の外資系転職体験記③

   

※こちらの転職エージェントさんは登録必須です(もちろん無料)↓

JACリクルートメント

   

   

44歳~外資系から日系企業へ転職

   

当サイトでは、外資への転職をすすめておりますので詳細は省きますが(ネタとして、別の機会に書きます)、営業として転職した日系の中小企業はひどかった。ブラックでした。。。

   

(一般的には)なかなか転職が決まらない40代以上。

経歴は様々でしょうが、こうなると、まだまだ保守的な日系ホワイト企業への転職は難しいのでしょう。

私の経験では、転職できたとしてもブラック率が高い

   

面接は2回でした。

1度目は、社長と、人事部長。小規模な、本社オフィス。

淡々と進み、2度目。最終面接。再度、社長と、直属上司となる営業係長。

ちなみに、社長は私と同い年で、係長は10歳ほど下。

   

「見事、高い競争率を突破し、採用に至りました!」と。

これは事実で、この中小企業のたった1名の採用枠に、300名ほどの応募があったとは、後に言われました。

   

営業成績はそこまで悪くなかったんです。

自分で言うのもなんですが、頑張ってはいました。

短い在籍期間で、新規契約を10件獲得。

難しいとされていた、長らくターゲットとしていた大口顧客も含まれていました。

   

それでも数字のプレッシャーは常にあり、営業会議の雰囲気は毎回超がつくピリピリモード。

あえて、和やかな雰囲気などではなく、”削り合うような”雰囲気にしていたのですね。

社長が、「そういうものだ」と。

   

何より、私はこのワンマン社長に嫌われた。

   

1年と5か月で退職しました。

   

何と、またもや次の転職先を決めないままに。

   

外資やったら決まるやろ。」

そんな考えでした。

   

2015年8月のことです。心身ともに消耗し、もはや記憶もはっきりしません。。。

   

45歳(正確には46歳)で再び大手外資系企業へ転職。

すでに45歳という年齢でしたが、”やはり”外資系への転職(内定)は早かった

日系中小企業を退職後、わずか1か月ほどでの、正社員としての内定です。

   

プロセスとしては、

エージェントとの面談(大阪梅田のエージェントオフィス・日本語)

→1次面接(大阪ミナミの喫茶店・直属の日本人エリアマネージャー・日本語)

→2次最終面接(同じく大阪ミナミの勤務地となる支店・日本のトップ・日本人・面接は日本語のみ)

→内定

という流れでした。

   

これを書いている現在、この外資系企業はすでに日本から撤退してしまいましたが(このリスクは当然日系企業よりも高くなりますね)、アメリカ系の、これも世界的に有名な企業でした。

   

私はとりあえず、大阪拠点の共同マネージャー。

前職の日系企業から、給料は120万円ほど上乗せ。

この待遇は満足のいくものでした。

   

45歳で転職してわかった、外資系企業(米系)~体験記④

なかなか上手くいかないもんです。。。

   

この外資系企業は「若い」会社でした

日本進出が2009年(らしいです)。

   

私が配属された大阪の拠点は、アルバイトも含めると従業員が計100名ほど。ただし、正社員はそのうち10名ほどという環境でした。

平均年齢は20代でしょうか。この面でも若かった。

もちろん、40代の私は拠点内で1,2を争う高齢。

   

ここも妬み、嫉妬はかなりありました。

   

口には出さないまでも、、、

「なぜ後から入ったオッサンのアンタが正社員?」

「なぜ高給?」

   

いえ、時として(言い方は違えど)口に出される時もありました。

「〇〇さんは、”もらってる”らしいじゃないですか。」

   

このへんは既に心得ていたことでしたから、徐々に上手くやれるようになってはいきましたが、、、

   

この会社はとにかく制度が何も整っていなかった。

   

なんと、人事の拠点は別の国にあったのです。

   

そして、日本のトップは”暴君”。

この暴君に従う者たちも暴君。

モラルはなく、パワハラが横行。

   

従わない者は次々と退社。

そのうちの1人が、私の一次面接担当だった直属の上司。。。

エリアマネージャー。

私の入社後、2か月ほどで退社しました。

   

日本のトップ、”暴君”マネージャーは、

「パソコンをパチパチやってる人間は要らないよな。」

   

私「そんなの、アリ?」「どういうこと??」

本気で思いましたね。。。

   

もう本当にむちゃくちゃでした。

が、繰り返しますが、ここは世界的に有名な企業でした。

   

上に書いたように、最終的にこの会社はつぶれました。アメリカ本社も、上手くいっていなかったようです。

   

こうして、好き好んだわけではないのにもかかわらず、私は48歳にして、再度の転職活動を余儀なくされることとなります。

さすがに、疲れ果てていました。。。

「またか」と。

   

→体験記⑤に続きます。

   

何か聞きたいことなどありましたらどうぞ↓

    コメント