外資系企業にもブラック企業は存在します。
一般的には残業の少ないイメージである外資系系業ですが、、、
今回は、私が体験したブラックな職場について。
ここまで書いたとおり、私が28歳の時に入社した会社は、外資系でありながら、外国人ほぼゼロ、英語ほぼゼロという職場でした。
だからというわけではありませんが、その”ブラックぶり”は、一般的な日本企業と変わらないものでした。
外資系も含め、転職回数の多い私。
その原因が、”ブラック”であったこともありました。
<以前の投稿>
→外資系企業の待遇~社宅の借り上げ~家賃はどうなる?【体験談①】
→ストックオプションで儲かった?【外資系企業での仕事体験談②】
→全国転勤あり【外資系リテール(小売り)企業転職・勤務体験談③】
関西圏へ出戻り転勤。そこは”ブラック”~外資系企業の小売業
小売り企業におけるブラックな職場。
それは繁忙店ほど発生しやすい気もします。
外資系小売業への転職早々、実地研修をなぜか九州で実施。
3か月後に、無事テストをパスしたかと思えば、関西への出戻り転勤辞令。
なかなか目まぐるしい事態となりましたが、奥さんともども実家は関西。と言っても、勤務地は実家からやや離れており、引き続きの借り上げ社宅により、節約は可能。
そして、関東圏・関西圏への転勤、勤務は出世の足掛かりになりやすい。
ということで、それなりに前向きに関西に戻って来たのでした。
*関西と言っても、大阪からはやや離れた他県。当時の高速道路事情もあり、大阪市内から車で2時間弱かかる土地でした。九州ほどではないですが、未知の場所。
”ブラックな職場”急成長外資系企業の小売・接客・サービス業の実態
ブラック企業あるある-過酷な労働環境
まずはこれに尽きます。
過酷な労働環境。
売上が九州の店舗よりもかなり多いということもありますが、労働環境はかなりハード。
九州では、研修中の私はもちろん、他の正社員たちも「9時間拘束、8時間労働」を順守することが当たり前で美徳。
でしたが、、、
新たに赴任した関西の店舗では、「開店から閉店まで勤務」「9時出勤、22時or23時、たまに(いやけっこう)24時や25時、さらには26時以降徹夜・・・」
休日出勤もゼロではない。
1人店内残って、朝までかかって売り場をつくる。
いつの間にか、鳥のさえずりが聞こえる。
こんなこともありました。
これは売上のボリュームが大きいということだけが理由ではなく、当時の店長、そしてその店長と我々スタッフとの関係性・・・など複数の要因によるものだったのですが。。。
とにかく、きつかった。
でも、耐えることができてしまった。
中途入社して、まだ20代後半。
まぁまぁ若く、体力もあったんですね。
*こんな話、今でもゴロゴロしているのではないでしょうか。ブラックもホワイトも、”濃度”は様々。私の場合、上記のようなフル勤務で、最長19日間連続出勤っていうのがありました。でも上には上(?)があるんですよね。。。
ブラック企業あるある-過酷な労働の中身とは
そんな過酷な労働環境。
仕事の中身がどうであったか。
これは外資系、日系、小売業の中であまり変わりはないと思います。
大型店舗でしたので、「接客よりも売り場づくり」。
朝荷受けをして、それをどんどん売り場に出して、完成させていく。
自分では極力手を出さす、パート・アルバイトさんを上手にマネージメントして。
この繰り返しです。
もちろん、これが全てではありませんし、途中他部署、他店とのやり取り、シフトづくり、ミーティング、クレーム対応・・・色々あるのですが。
上司、店長がその売り場に納得しないと帰ろうにも帰れない。
そんな毎日でした。
だんだん麻痺してくるんですね。
店長は店長で、「こいつらはダメだ。全然売り場が立ち上がらない。ダメならせめて残業してでも理想に近い売り場を作らせないと。」
僕らは僕らで、「どうせ今日も残業だ。」
・・・
典型的な悪循環。
こういうのは、ブラック企業あるあるではないでしょうか。
一見、常識的な上司。
けれども、当時は長時間労働が当たり前だったのですね。
上司の上司も、会社も何も言わない。
従業員の働き方ケアよりも、会社の業績を重要視。
しんどかったですね~~
心身ともに疲弊していたあの時、どうすればよかったか
振り返って、あの時どうすればよかったのかと考えます。
うまくやっていた人間はどうしていたか。
会社でうまくやろうとすれば、上司(店長)とも当然”うまく”やらないといけない。
これがうまくできなかったですね。
今なら、さすがにあの店長の気持ちもわからなくはないんですが、あまり尊敬できるタイプではなかったですし(セクハラ疑惑も、一部若いアルバイトに言われたりしていました)。
かと言って、入社して1年も経たないうちに辞めるわけにはいかない。
結婚もしていましたし、あの時、再度転職する選択肢はなかった。
今と違って、インターネットは普及し始めたばかりで、副業云々も夢物語でした。
今思い返しても、本当に”上手に”働いて、あの店長に気に入られる。
それしかなかった。
でも、できませんでしたね。
こういうのも、ブラック企業あるあるなのではないでしょうか。
※前の職場。九州の上司からも電話をいただいて、状況を報告したりもしました。
憤慨してくれました。「ほっとけないな」と。
が、何も変わらなかった。
売上の大きい店舗にいる人間の権力が強い。
これが現実でした。
ただまぁ、いまいち勤労意欲に欠けていた私のこの話は良くない例です。
同じような環境下、うまく立ち回った人間もいましたし、うまくやれる人は多いでしょう。
付け加えるなら、パート・アルバイトさんに厳しく言って(プレッシャーを与えて)売り場をつくることができていた同僚もたしかにいました。
私に、「甘さ」みたいなものがあったのも事実です。
これもある意味、マネジャーとしての資質があまり高くなかったのかもしれません。
今でもそう思います。
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